新城幸也のキャリアの凄さを同期112人との比較から考察する。

コラム

新城選手と同年にネオプロとしてデビューした2009年世代のデータを分析、比較し考察する。

☆前書き

日本のサイクルロードレースファンなら誰もが知っている新城幸也選手。中継で彼が映れば、解説も盛り上がるし、私たちファンも喜ぶ。プロとしてのキャリアも長いベテランライダーだ。そんな彼は当然、そのキャリアや実力を賞賛され続けており誰も疑うことは無い。筆者もその1人だ。

だが、何も知らない人に「新城幸也ってどこが凄いんだい?」と聞かれた時に私たちは何を答えられるだろうか。

「現役を15年も続けている超ベテランなんだ!」「グランツールっていうトップのレースに15回出場して全部完走している!」「世界選手権でトップ10に入ったことがある!」

他にも沢山答えられる人もいるだろうが、このあたりが多く出やすいものではないだろうか。

そして、それを聞いた何も知らない彼はこう返すだろう。

「それはどのくらい凄いことなんだい?」

“どのくらい”。つまりは比較だ。その他のプロ選手と比べてその実績はどれほどのものなのか。

こうなると我々ファン多くが、返答に詰まるのでは無いのだろうか。

何故なら、多くのファンがプロ選手の何割がグランツールに出場出来るのかも知らないだろうし、プロ初勝利を挙げられる選手がどれほどいるのかも知らないからだ。

筆者は新城幸也選手がBboxブイグテレコムでプロデビューした2009年に共にネオプロとなった112人のキャリアを分析、比較することで、その答えの一例を探した。

この考察記事が、新城幸也選手をプロデビューやそれ以前から応援する古参のファンは勿論、最近サイクルロードレースや新城選手を好きになってくれたファンの理解の助けにもなれば、心から嬉しく思う。

☆2009年世代主要選手

2009年にプロデビューした選手は112人いる。一般的にサイクルロードレースでいうプロデビュー(そしてプロ1年目のことを”ネオプロ”と言う)はプロチーム(当時はプロコンチネンタルチーム、通称プロコン)以上のチームに初めて所属することを言う。

ここでも2009年に初めてプロコンチネンタルチーム以上のチームに所属した選手のことを指し、2009年世代としてまとめる。

主要選手としては、

【現役選手

新城幸也、トーマス・デヘント、ダミアーノ・カルーゾ、ヤコブ・フルサン、ワウト・プールス、ダニエル・オス、ベン・スウィフト、セップ・ファンマルク、ヤン・バークランツ、サイモン・クラーク、シモン・ゲシュケ、アンドレイ・アマドール、ミケル・モルコフなどに加え、日本に縁のある選手として、現マトリックスのホセ・ビセンテ・トリビオ、現キナンのマルコス・ガルシアらがいる。

【引退選手

ラース・ボーム、マティアス・ブランドル、ブリス・フェイユ、ジョニー・フーガーランド、ブレル・カドリ、フレデリック・ケシアコフ、キャメロン・マイヤー、ミケル・ニエベ、スヴェイン・タフト、リーウ・ウェストラなどに加え、日本に縁のある選手として、元UKYOのオスカル・プジョル、元NIPPOのアラン・マランゴーニらがいる。

☆現役選手の割合

2023年シーズンも現役の選手は112人中22人であり、これは全体の約19.6%に相当する。

その中でも、プロデビューした2009年から2023年に至るまで、プロチーム(2019年以前はプロコン)以上に所属し続けた選手は、アンドレイ・アマドール、新城幸也、ヤン・バークランツ、ダミアーノ・カルーゾ、サイモン・クラーク、アントニー・ドゥラプラス、ヤコブ・フルサン、シリル・ゴティエ、トーマス・デヘント、シモン・ゲシュケ、ベン・ヘルマンス、アンヘル・マドラソ、ミケル・モルコフ、ダニエル・オス、ワウト・プールス、ベン・スウィフト、セップ・ファンマルクの17人で、約15.1%に相当する。

この新城幸也を含む17人は少なくとも15年もの長い間、グランツールやモニュメントといったサイクルロードレース界の前線で活躍し、エースやアシストといった担う役割は違えど、プロトンでの生存競争を生き残ってきた猛者達であることは約15.1%の数字からして間違いないだろう。

2009年世代のプロキャリアの年数に該当するそれぞれの人数を表したグラフ。※プロコン以上に在籍した年数のみカウント。

因みに2009年世代のプロキャリアの平均値は6.68年であり、中央値は5年だった。

☆プロ勝利

この中でプロとして初勝利を挙げることが出来たのは、64人であり、これは全体の57.1%にあたる。正直これには少し驚いた。もっと勝っている選手は少ないと思っていたからだ。

2009年世代のプロ勝利数ランキングは(主要な勝利レース)

1位 27勝 ヤコブ・フルサン(LBL,LOMドーフィネ)

2位 25勝 ラース・ボーム(GT2勝エネコツアー総合優勝)

3位 22勝 スヴェイン・タフト(エネコツアー,国内ITT)

4位 21勝 ワウト・プールス(LBL)

5位 19勝 ベン・ヘルマンス(アークティックレース総合優勝)

という結果だ。新城幸也は同率13位の8勝(ツール・デュ・リムザン総合優勝やツール・ド・台湾総合優勝が主な勝利)となっており、ここでもかなり上位に入っている。

そして2009年世代の平均勝利数は3.31だった。

☆グランツール

新城幸也が良く活躍しているイメージがあり、前書きでも言及したグランツールの出場数と完走数、その割合についてここでは比較していく。

まず、グランツールに出場したことのある選手は69人おり、完走したことのある選手は62人いた。これはそれぞれ世代全体の61.6%、55.3%に相当する。

2009年世代のグランツール出場数ランキング

1位 23回 トーマス・デヘント

2位 22回 ミケル・ニエベ

3位 20回 ワウト・プールス

4位 17回 ヤコブ・フルサン、シモン・ゲシュケ、アンドレイ・アマドール

7位 16回 ダミアーノ・カルーゾ、サイモン・クラーク

9位 15回 新城幸也、ヤン・バークランツ、ミケル・モルコフ、ダニエル・オス

となっており、2009年世代のグランツール完走数ランキング

1位 21回 ミケル・ニエベ

2位 20回 トーマス・デヘント

3位 17回 アンドレイ・アマドール

4位 16回 ワウト・プールス

5位 15回 新城幸也、ヤン・バークランツ、ダミアーノ・カルーゾ、シモン・ゲシュケ

となった。新城幸也はそのどちらでも2009年世代112人の中でトップ10に入っており、グランツール出場数、完走数に関しては世代でもトップクラスであることがイメージだけでなく数字として明らかになった。

これだけグランツールメンバーとして起用されるのにも当然理由があると考えるのが自然である。これは数字として表れるものではないが、それが3週間レースを戦える回復力であったり、エースを献身的にアシストする能力に長けていると評価されていることの裏付けの1つと考えることも出来るのではないだろうか。

2009年世代グランツール完走率ランキング(出場10回以上を対象)

1位 100% アンドレイ・アマドール(17/17)、新城幸也(15/15)、ヤン・バークランツ(15/15)、シリル・ゴティエ(11/11)

5位 95.4% ミケル・ニエベ(21/22)

6位 93.7% ダミアーノ・カルーゾ(15/16)

グランツールを10回以上出場し、その全てを完走した選手は4人のみ(約3.5%)だった。出場回数の違いはあれど、出場したグランツール全てを完走した記録は、スタミナや回復力、そして落車に巻き込まれにくいポジショニングやバイクコントロールの上手さ、そして少しの幸運といった要素が複雑に絡まって達成されたものではないだろうか。

因みに100%を達成した内の新城幸也とシリル・ゴティエは共にBboxブイグテレコムでデビューしている。ここからは完全に筆者の憶測となるが、当時のBboxブイグテレコムのエースはトマ・ヴォクレール(現フランスナショナルチーム監督)という選手だった。彼はプロトンで独特なポジショニング(集団の最後尾に張りつく)をすることで知られており、グランツールの完走率も19/20(95%)と非常に高い数字を出していた。

新城幸也はそのポジショニングを継承しており、(ゴティエは分からないが)、Bboxブイグテレコム(後にユーロップカーとなり現在はトタルエナジーズ)在籍中にエースのアシストをしていく中で何らかの学習や影響を受けた結果なのではないかと想像するのも面白い。また、同期ではないが2009年にBboxブイグテレコムに在籍し、現在も現役の選手にピエール・ローランがいる。彼のグランツール完走率も非常に高く、18/19(94.7%)という数字を叩き出している。

☆2009年組の歴戦の猛者17人のグランツール勝利経験

新城幸也はグランツールを勝利せずに、15年もの間トップカテゴリーで戦い続けているが、他の16人はどうなのだろうか。

グランツール勝利経験 9人

アンドレイ・アマドール、ヤン・バークランツ、ダミアーノ・カルーゾ、サイモン・クラーク、ヤコブ・フルサン、トーマス・デヘント、シモン・ゲシュケ、ミケル・モルコフ、アンヘル・マドラソ、

グランツール勝利経験 8人

新城幸也、アントニー・ドゥラプラス、シリル・ゴティエ、ベン・ヘルマンス、ダニエル・オス、ワウト・プールス、ベン・スウィフト、セップ・ファンマルク

15年以上トップカテゴリで走る17人をグランツール勝利経験の有無で分けると、上記のように半々という結果になった。

グランツールでの勝利は契約延長や移籍を勝ち取る大きな理由になり、選手として大きなステータスになるものだが、プロトンの最前線で戦い続けるのに必須な持ち物では無いようだ。

☆まとめ

ここまで2009年組と新城幸也を比較してきたが、彼はそのキャリアの長さ、グランツールの出場回数、完走回数、プロ勝利数、どこをとっても世代の上位(1割)~最上位に位置していることが、日本人の贔屓目を抜きにしても明らかになった。

そして、元々上位だろうと思われたグランツールの出場関連ではなく、プロ勝利数についても13位に入っていて驚くと共に、プロの1勝の重さを感じた。それを8つも重ねる彼は間違いなくトップ選手だ。

最後まで読んでくれてありがとう。元々詳しかったあなたも、そんなに知らなかったあなたにも、数字という視点でのみだが、新城幸也の積み上げたキャリアの大きさと強さが伝わったのではないだろうか。彼は来シーズンもバーレーン・ヴィクトリアスでいぶし銀の走りをファンにみせてくれるはずだ。シーズンの開幕が今から待ち遠しくて仕方がない。頑張れ新城選手!

モニュメントやその他のことについても比較して見たかったのだが、不注意でこの記事を書くために纏めていた2009年組の統計データをまるごと吹っ飛ばしてしまったのでそれは次の機会としたい。ごめんね。

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